金融庁は中小の監査法人に対し、体制の強化を目的とした統治指針の受け入れを義務付けるという。現行では統治指針の受け入れは任意だが、原則義務化して監査する企業数に見合う体制を整えているかなど情報開示を充実させることになる。
これは、杜撰な監査が一部の中小監査法人で発覚し、業務停止命令などの処分が相次いだことが背景にある。
上場企業の監査はビッグ4と呼ばれる大規模監査法人が大きなシェアを占めているものの、中小監査法人の存在も増してきている。
投資家からすると、監査法人の規模によって監査の質が違うとなれば、財務諸表の信頼性が担保されているのか不安にならざるを得ない。実際、投資を検討している企業が中小の監査法人の監査を受けている場合、大丈夫かと不安になることもある。
むろん、大規模監査法人なら安心とも言い切れず、粉飾決算が見抜けないほど企業側も巧妙になっていたりもする。
そもそも監査制度が構造的に矛盾を抱えている。それは監査報酬を企業が支払っていることだ。監査論の理屈では、企業が公表する財務諸表の信頼性を保証してもらうためコストを払って監査を受けるのだから企業側にもメリットがあると説明される。だが、企業側はできるだけ低コストでなおかつ緩い監査を潜在的に望み、一方の監査法人側は監査の受注が自らの死活問題に直結するので企業側の要望を受け入れるインセンティブが生じてしまう。その結果、監査の質が劣化し財務諸表の信頼性が損なわれ、巡り巡って投資家が損害を被ることになるのだ。
監査はそもそも投資家保護を目的としているのだから、理想的には投資家あるいは証券取引所が監査コストを負担するのが筋なのだ。それならば企業と監査法人が馴れ合うこともなくなる。だが現実には投資家や証券取引所が監査コストを負担するのは難しい。
財務諸表なんて見もしない投資家からすれば、こんなことは全く気にならないのだろうし、コストを払うことなんてありえないと思うだろう。そもそも監査法人という存在自体知られていないかもしれない。だが財務諸表から企業の実態を探ろうとする者からすれば、財務諸表が信頼できるかどうかは非常に重要なのだ。だからどの監査法人が監査をしたのかには注意を払う。場合によっては財務諸表の信頼性を割り引いて考えることも必要なのだろう。