投資狂日記

自由を追求するブログ

労働のコモディティ化

だいぶ前に、あらゆるものがコモディティ化しているということを書いた。

 

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ふと思ったのが、労働もコモディティ化しているのではないかということだ。

 

長年のデフレが続き、賃金水準は一向に上昇していない。ようやく最近は賃上げムードになっているが、物価上昇によって打ち消されてしまっている状況だ。また、非正規雇用の割合が増大していることもある。

 

だがそれだけではないのではないか。

IT化やデジタル化が遅れているといっても、ネット環境が普及しそれが当たり前になったことで仕事のやり方もだいぶ変化している。それによって、それまではその人しかできない職人技のような仕事がそこら中にあふれていたものが、コンピューターに置き換わったことで誰でもこなせるようになった。誰でもできるということはその仕事の価値も低下することであり、結果的に賃金は上がらなくなる。こうしたことがあらゆるところで起きていて、賃金水準が上がらなかったのではないか。

 

そして今度はAIという新しい波が押し寄せている。

このAIがコモディティ化した労働をこなしてしまうようになるのではないか。すでにAIを優秀なアシスタントとして活用し、人を雇わなくてもやっていける事例が出てきている。

また、AIはいわゆる「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」もこなすことになり、今までそれをしていた大量の人々があぶれることになるかもしれない。

 

それで人手不足はある程度緩和される可能性もある。

どうでもいい仕事がなくなって、なくてはならない仕事に人が集まるようになる。でも労働でガンガン稼げる人は一握りで、ほとんどの人はそこそこしか稼げないようになっていくのではないか。

 

なくてはならない仕事ができないなら、なくてはならない仕事をする企業に投資することだ。

自分でできないことを投資という手段で賄うという発想はこれからますます大事になると思っている。

「信じる」について考える

最近、著名人になりすまして投資を勧誘したりする詐欺広告が大きな問題となっている。

手口が巧妙になってきていることは確かだが、そもそも最初の入り口で「著名人だからということで安易に信用してしまう」ことが大きいのではないか。

 

なぜ、著名人だと信用してしまうのだろうか。

 

著名人は世の中に知られている存在だ。

だからこそ世の中から信用を維持していなければならないわけで、もし人を騙したとしたら即座に世の中に居場所を失ってしまうはずだ。

だから人を騙すようなことはしないはず。

だから信用できる。

 

こういった論理が成立する。

詐欺師はこの論理を巧妙に利用しているわけだ。

 

そもそも「人を信じる」とはどういうことなのか。

「著名人だから信じる」ということが本当に「信じている」ことになるのだろうか。

 

「信じる」ということについて、女優の芦田愛菜さんが高校生の時に述べた回答が哲学的だったことで話題になったことがある。彼女はこう述べた。

 

”裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。
見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました。
揺るがない軸を持つことは難しい。
だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました。”

 

まさに詐欺広告に引っかかる人は成功している著名人にすがりたい気持ちがあって、その人の言動らしきものに見せかけた詐欺内容に「すがってしまう」のではないか。

でも「信じる」という言葉をつかって「すがっている」だけで、本当の意味で「信じている」という状態ではないのではないか。

 

「信じる」ことと「すがりたい気持ち」は違う。その違いは「覚悟」ではないか。

「すがりたい気持ち」には覚悟がない。一方的にただ頼りたい、寄りかかりたいだけだ。

芦田愛菜さんは「揺るがない自分がいる」「揺るぎない軸を持つ」と表現したが、それだけ「信じる」という行為は難しく、「信じる」にはその結果について責任を持つ覚悟がいることなのだろう。