先日の日経新聞夕刊の1面で「スマホ進化 曲がり角」という記事が出ていた。バルセロナで開催されている携帯見本市で各社が発表したスマホ新製品の目新しさが乏しいという。
高価格帯の機種が登場してもすぐに低価格品にも採用され、機能面で差をつけにくくなっている。そうなれば価格競争になり、コモディティー化していく。
近頃、スマホに限らずあらゆるものがコモディティー化しているように感じる。例えばMBAというのはひと昔はステータスがあったが、もはやありふれた存在なのかあまり重宝されているようには思えない。弁護士も司法試験改革以降に人員が増加したこともあり、弁護士業務で食べていけない人もいる。そもそも知識というのが検索すればわかるものになってしまい、「知っている」ということ自体が重要でなくなった。
同じ日経新聞夕刊2面に「自己啓発本が売れ筋に」という記事があった。かつてはビジネスに関する知識やデータをまとめた本に需要があったが、ネットで調べられる内容の本は売れなくなっているという。逆に明確な答えがないような問題に対してどう考えるか、その指針として自己啓発本が売れている。これも知識がコモディティー化しているというあらわれだろう。
かつては貴重な存在だったものが陳腐化していく。
人工知能やロボット化が進めば労働というものもコモディティー化していくだろう。働き方を考えるうえでも、どうすればコモディティー化しないか、あるいはコモディティー化にどう対応するかは大切な視点になってくると思う。