投資狂日記

自由を追求するブログ

追いかけるか、待ち伏せるか

株式投資のやり方は、大きく二つに分けられる。

株価を追いかけるやり方と、待ち伏せるやり方だ。

 

株価を追いかけるやり方は、狩猟型といってもいい。とにかく獲物を追い続ける。この方法は能力がいる。獲物を見つける能力。追いかける視力と体力。そして集中力。こうした能力が備わっている人が成功して残っていく。誰もができるわけではない。

 

一方、待ち伏せるやり方は農耕型でもある。種を蒔き、芽が出てやがて花を咲かせ、実がなるまでじっと待ったところで収穫する。通常は育つまでにあれこれ手を尽くすものが、株式投資ではほとんどすることがないのがいい。ただ、蒔く種を慎重に選ぶことと実がなるまで観察し続ける必要がある。

 

どちらをとるかはほぼ性格なのだろう。

私はできるだけ楽をしたいし、せかせかするのは好きではない。のんびりして果報は寝て待てというタイプだ。

だが時々、狩りに出たくなることがある。狩りの能力はあまりないと自覚しているにもかかわらず、狩りをしたくなるのだ。

そして狩りが成功しようと失敗しようとまた元に戻る。決して狩りだけを続けようとはしない。

 

先日、日経平均株価は大きく下落したものの、翌日には大幅上昇した。

こういうときに投機という狩りをしたくなる。

投機で何度も痛い目にあったにもかかわらずそういう気分になる。

だが、追いかけたところでいい獲物を捕らえることは滅多にない。

やはり待ち伏せするやり方が性に合っていると思い知るだけなのだ。

 

 

株を守りて兎を待つ

「株を守りて兎を待つ」という故事がある。「守株待兎」という四字熟語もあり、以下のような話だ。

 

昔、宋の国にいた一人の農夫が畑を耕していると、一匹のウサギが飛び出してきて、畑の切り株にぶつかって死んだ。
農夫はこれに味をしめ、もう一度ウサギを手に入れようと農具を捨てて毎日株を見守っていた。
その後、もう二度とウサギを手に入れることはできず、農夫は宋の国の笑い者になったという。

 

このことから、「古い習慣にとらわれて時の変化に適応しないこと」を意味するようになった。また、偶然の幸運を当てにする愚かさを説いている。

 

株式投資をしていると、この農夫と同じようなことをしているのではないかと思うことがある。

たまたま投資した銘柄が急騰して儲かったりすると、それがたまたま幸運に恵まれたのにすぎないにもかかわらず、再度同じことを狙ってしまう。

特に長期投資では、保有する銘柄の株価が一向に上昇しないと、農具を捨てて切り株を見守る農夫になっているのではないかと感じることがある。

 

長期投資で待ち続けることは、必ずしも偶然の幸運を待っているわけではない。

だが、偶然をまったく期待していないわけでもない。

将来は不確実で、もしかしたら幸運が立て続けに起きることだってある。

株価の動きを自分でコントロールできない以上、ある程度偶然に身を任せるしかない。

かといって、すべてを運に任せてもいけない。

 

二度とウサギを手に入れることはなかった農夫は国中の笑い者になったが、私は笑うことができない。

いつでもこの農夫と同じようなことをしているかもしれないからだ。

 

偶然を必然と勘違いしないこと。

常に偶然が存在していることを忘れないことに尽きる。