投資狂日記

自由を追求するブログ

時機を逸したのか

最近の堅調な株価の動きを見ていると、暴落した時に株を買っておけばよかったと思いたくなる。今回に限らず、何度もこういう場面に遭遇してきた。

 

あのとき買っておけば・・・。そうすれば今頃は・・・。

 

そして暴落に直面したときは正反対となる。

 

あのとき売っておけば・・・。そうすれば今頃は・・・。

 

株式投資をしていると、時機を逸したと感じることが多い。

だがそう感じる時というのはだいたい目先のことに囚われている。

そして目先にとらわれていることがさらに時機を逸することにつながっていく。

 

本当に時機を逸したのか?

本当は時機が到来しているのに気付いていないだけではないのか。

 

過ぎたことは戻せない。過ぎたことをあれこれ考えても何も変わらない。

先を見つめて考えるのみ。

 

時機はいつでもやってくる。

先を見ていないと捉えられない。

 

無念の半生に思うこと

先週、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが亡くなったというニュースがあった。娘との再会を望んだが願いは届かず、その無念の半生を思うと胸が苦しくなる。

 

娘を探し続けて43年というから人生の半分に及ぶ。私にも娘がいるから、もし同じようなことになったらと思うとまったく他人事ではなくなる。

 

人生は選択の連続と言われるが、時に有無を言わさず理不尽な状況に向き合わさざるを得ない事態に遭遇する。北朝鮮による拉致などは思ってもみないことで、もしこんなことがなければ横田さんの家族も普通の日常を送っていたはずなのだ。

そして約40年。40年というのはとてつもなく長い。40年もあれば劇的な変化があるものだが、それでも再会への状況は変化しなかった。強制的に向き合わされた方向で、さらに人生の選択を迫られる。諦めるという選択肢もあったはずだが、娘に再会したいという思いに比べれば、そういう選択肢はないに等しかったのだろう。

 

私は最期を迎える時、できれば無念の思いをもっていたくはない。だが無念なく人生を終えることができる保証はないのだ。いつ何時、理不尽な境遇になるかわからない。選択できるはずのことが、明日には選ぶことができなくなっているかもしれない。そんなことが誰にでも起こりうる。

 

そう考えると、ささやかな幸せというのは実は希少で貴重なのだ。でもそれを日常では過小評価しているのかもしれない。