投資狂日記

自由を追求するブログ

「責任ある積極財政」の行方

高市新内閣が発足した。閣僚には積極財政派が多く配置されており、高市氏が言うところの「責任ある積極財政」への意気込みが感じられる。

 

これを意識して株式市場はお祭り騒ぎとなっている。

だがこれがいつまで続くかはわからない。

着目すべきは為替市場と債券市場だと思っている。

 

そもそも「責任ある積極財政」というものが何なのかはっきりしていない。何に対してどう責任を取るつもりなのだろう。

 

アベノミクスと似たようなことをするのだろうか。

アベノミクスによって株高になったが、同時に円安が定着した。円安によって輸出企業が儲かり、インバウンドで国内も潤ったようにみえる。だがインフレによって実質賃金は上昇せず、今となってはその円安が物価高を助長し日常生活を苦しくさせている。結局のところ経済はちっとも強くなっていない。

保守的な人々は、アベノミクスを推進した故安倍氏を熱狂的に支持し、同じような信条の高市氏を支持している。でも、円安を招いたアベノミクスによって「美しい日本」を海外に売りたたき、日本の街中に外国人を溢れさせたにもかかわらず、なぜ右寄りの人々が支持しているのかまったく不思議だ。

 

ともかく新内閣の直面する課題は物価対策だろうが、積極財政でインフレを抑えられるのだろうか。むしろさらなる円安となりインフレを加速させ、金利が上昇し、投資が抑制されて景気後退を招くことになるのではないのか。

 

口では何とでも言える。

これからの行動で明らかになってくるだろう。

上から目線で失礼ながらお手並み拝見といきたい。

 

老いていくことの寂しさ

先日叔母が亡くなった。歳を重ねるにつれて身近なところで人が亡くなっていくことが増えていく。

私の母はその叔母としょっちゅう電話で話をしていて、プロ野球のことなどでおしゃべりすることを楽しんでいた。だがもう叔母から電話がかかってくることがなくなってしまい、プロ野球のテレビ中継を観る楽しみも減ってしまったと言っていた。

その母も自分が亡くなった時に備えるような言動が多くなっている。

 

老いにはどうしても寂しさが漂う。

 

私自身も鏡を見てだいぶ老けたなと思うが、久しぶりに会った人が病気などで弱ってしまい想像以上に年老いていたことに驚くことがある。

老いは徐々に進んでいくものだが、時にはそれが加速してしまうことがある。そして時間だけでなく健康や身体的能力も失われていく。

 

自分ではまだまだ先のことだと思っていても、気づいたら目前に迫っていることもありうるのだ。

やはり自分がやりたいと思うことはすぐにやったほうがいい。

もし先延ばしして、いざやろうとしてもできなくなっていたとしたら悔やんでも悔やみきれない。それにそのことが老いの寂しさをいっそう増幅させることになる。

 

逆に言えば、何か夢中になるものがあれば老いの寂しさも多少は和らぐのかもしれない。