投資狂日記

自由を追求するブログ

欲望の罠

先日、NHKクローズアップ現代を観た。内容が「追跡! 投資ブームの影で広がる借金投資 ローン不正利用の実態」というものだったからだ。

 

相変わらず投資に関するトラブルは発生している。

番組で取り上げられたのは、住宅ローンを悪用し資産のない人たちに多額の借金をさせて不正な不動産投資へ導くというものだった。

 

こういう投資トラブルについて思うのは、被害に遭う人があまりにも思慮が浅いということだ。被害者に厳しいと思うかもしれないが、投資というのは知的なゲームでもあり、理性的な判断ができないと失敗の確率は高くなるものだ。

 

理性的な判断ができないのは欲望という感情が勝ってしまうことにある。

 

番組内でインタビューを受けていた被害者は、投資をしようと思った理由として老後の資金や子供の教育費などの経済的な不安を挙げていた。確かにそういう不安は誰もが抱くものだし、その不安を解消するために何をすべきか考える。そして投資という手段に思い至り、投資のなかでも継続的な家賃収入がある不動産投資に魅力を感じたらしい。

 

だが、本当にそうなのか。

口に出した言葉と頭の中の思考が一致しているとは限らない。

不動産投資に興味をもったのは、それで成功している人物を見て自分もそうなりたいと思ったからではないのか。あの人みたいに楽して稼いで裕福な生活がしたいと思ったからではないのか。実際にその成功している人物のセミナーに参加したことで、同じような道を辿りたいと思ったのではないのか。

 

本当に老後の資金や子供の教育費を考えるなら、その不動産投資が理に適ったものなのかどうかもっと考えるのではないか。株や投資信託など他の選択肢を考えたうえでの不動産投資だったのか。

 

不動産投資は様々な知識が求められる。物件価値の見分け方、家賃収入とローン返済のキャッシュフロー把握、修繕費用はどうするのか、税金や保険はどうするか。

なのにそういったことをすっ飛ばして安直に不正なローンを組み物件を買ってしまうというあまりにも軽率な判断をしてしまった。理性より欲望が勝ってしまったからだ。

それを覆い隠すためにインタビューでは投資を始めるまっとうな理由を口に出したのではないかと思うのだ。

 

被害に遭ったのは気の毒だが、それは欲望の罠に落ちてしまった結果でもあり、その結果を受け入れることも投資の一環だ。もしその覚悟がないならそもそも投資などすべきではないのだ。

 

映像と想像力

私の娘は学校の図書室からたくさん本を借りてくる。先日も図書室から借りてきた数冊の本がテーブルに積んであった。妻も小説を読むのが好きなので親子で本の話をしていたりする。そうやって本を読む習慣ができたことは非常にうれしいことだ。

 

子供だけでなく大人も活字離れと言われて久しい。紙の新聞を読む人も減っている。実際、私がゴミ置き場に新聞雑誌の束を出しに行くと、段ボールはたくさんあるが新聞雑誌の束があることはほとんどない。

 

活字を読むことが敬遠されるかわりに映像化されたものを観るようになった。

活字の本より漫画、そして動画へと流れていく。とっつきにくい古典やビジネス書ですら漫画化される。

それが何をもたらすことになるか。

 

例えば、小説を読むときは文章から自分で想像してそれを頭の中で映像化している。この想像するということは脳にかなり負荷のかかることなのかもしれない。だからその負荷を嫌って直感的に理解できるものに頼りたくなる。文字を読んで文章の内容を理解するというプロセスを辿るより、画像を見て直に理解するほうがはるかに楽だ。

 

その結果、想像力が次第に衰えてきているのではなかろうか。

画像や動画を観たそのままで理解することばかりしていると、頭の中で想像する機会は減っていく。

最近は驚くような事件がいくつも起きるが、どういうことが起きるか想像できなかったのかと思うようなことも多い。先日起きた幼稚園の送迎バス内置き去り事故なんてまさにそうだ。

想像力が衰えれば他人がどう思っているかを感じることも衰える。

 

文章を読むというのは筋力トレーニングと一緒のような気がする。使わない筋力はどんどん衰えていくように、普段から文章を読まないでいると読解力や想像力は衰えていくくものだと思っている。

なので意識的に文章に多く触れるようにしている。

だから本を読むし、いろんなブログの記事を読む。

そして自分もブログで文章を書く。

世の中が映像へと流れていくなかで、あえて活字にこだわっていきたい。