「いい加減」という言葉は否定的なニュアンスがある。
「いい加減な人」はだらしなくて信用できないし、「いい加減な仕事」はやるべきことがなされておらず適当なものとなる。
とはいえ、言葉をそのまま捉えれば「いい加減」は「ちょうどいい」「手頃」「適度」といった意味であるからむしろよい意味であるはずだ。
それでも否定的なニュアンスが宿ってしまうのは、完璧主義の人からすれば「いい加減」は完璧ではないからどうしても否定的に捉えてしまうからではないか。真面目な人ほど「いい加減」は許せなくなり、そういう人の割合が比較的多いのかもしれない。
じゃあ完璧であることが本当にいいことなのか。
物事を突き詰めることは大事だ。だが方向性を間違うととんでもないことになりかねず、むしろ「いい加減」な状態で十分なことが世の中には多い。
例えば物理の世界でニュートンの法則というのがあるが、日常の世界ではほぼ成立するものの、目に見えない極小のレベルになるとこの法則が成り立たなくなる。じゃあニュートンの法則が誤りなのかというとそうとも言えない。日常では十分役に立つ法則だからだ。つまりニュートンの法則は厳密ではないが、十分使える「いい加減」な法則というわけだ。
そう考えると、株価というのもいい加減なものだ。株価はその企業の価値を測るものだが、それは株式市場で刻々と変化している。だがその株価が真の企業価値かといえば、決してそうだとはいえない。
株価とは別に企業の本質的価値というものが存在し、それと株価のギャップがわかれば儲けられるはずだが、その本質的価値とやらがどこに存在するのか誰もわからない。ただ大体これくらいではないかと推測できるぐらいが限度であり、ピンポイントで当てることは不可能なわけだ。理論株価というのも理論的に説明できるが、導き出された数字が本当に合っているかなんてわからないのだから「いい加減」なものでしかない。でも「いい加減」だからといって捨て去っていいというわけでもない。
「いい加減」だからこそ役に立つことがある。
だからこそそのいい加減さを受け入れる余裕を持ち続けたい。