お金を貯めることも大事だが、お金をどう使うかはその人の生き方をも映す。
それを痛感することが身近にあった。
私の親類(仮にAと呼ぶ)の話だ。
Aは不要になったものをフリーマーケットで売ることが好きで、何でも売ってしまうらしい。だがお金を使うことに関してはケチだということで周囲の意見は一致している。
昨年にAの母親が亡くなり、今年に入って父親も他界した。母親の亡くなったときは簡素な葬儀で済ますということで家族葬で行った。だが父親が亡くなったとき、Aは「葬儀はしない」という。葬儀という形式的なことにお金をかける意味はないという意見らしい。
しかも父親が亡くなった後、父親が好きだった絵画を早々に売り払ったという。
四十九日の法要も忘れていたのか、あるいはするつもりもなかったのかわからないが、花すら用意していなかったらしい。私の母や他の親類はあきれ返っていた。
Aはなぜそこまでお金を貯めようとしているのかわからない。お金を貯めること自体が目的で、それが快感なのだろう。まさに守銭奴といっていい。
A本人は経済的な合理性で行動していると思っている。それでお金を得ているが、同時に多くのことを失っていることに気付いていない。
経験や思い出など形のないものや感情を伴うことにお金を使えないのだ。
旅行に行って未知のものに触れようともしないし、誰かを喜ばせるためにプレゼントしようとも思わない。
ただひたすらお金を貯め込もうとしている。逆にお金以外のものはどんどん離れていく。
私はそんな人生を送りたくない。
お金は使ってこそ活きるのだ。だからどう使うか、何に使うかが重要になる。
経済合理性は大切だが、お金は使うべき時に使わないといけない。
特に、形のないものにお金をどれだけ使えるかは大事だ。
それが人生を豊かにすると思っている。