我々は普段様々なモノサシを使っている。長さを測るには定規を使い、秤で重さを知り、時間の経過は時計を見る。そして経済的な価値はお金、すなわち貨幣で計っている。
だが、定規や秤と貨幣とでは性質が異なる。
定規や秤は常に一定で変わることがない。1メートルや1グラムはいつどこでも同じだ。でも貨幣は違う。1万円の紙幣の額面は変わらないが、その価値は変化している。
先日「円安による錯覚」という記事を書いたが、錯覚が起きるのは貨幣というモノサシ自体が日々変化しているからでもある。
今後、日本政府の財政悪化を改善させる手段として、この貨幣というモノサシ自体が変化する性質を利用する可能性が高いと考えている。
つまり、借金の額面が巨額であっても、貨幣の価値そのものを下げてしまえば実質的に負担は軽くなる。これはすでに始まっていて、インフレによって日本の財政は改善傾向にある。一方、国民の生活は苦しくなっているわけで、まるで税金を取られているかのような状態だ。これがインフレ税と言われる。
消費税の減税が叫ばれるのは、インフレ税という現象が背景にあるからともいえる。でももし本当に消費税が減税されるようなことになれば、さらにインフレを加速させることで減税効果が相殺されることになるかもしれない。
国民は増税を望まず、その国民の支持を得たい政治家も増税を口に出さない。その結果、インフレという貨幣価値の下落を引き起こすことで帳尻を合わせようとする。
表面上は何も変わらず、1万円札はそのままだ。だがその価値は減り続ける。物価高というとモノの値段が上がったように見えるが、貨幣というモノサシの価値自体が下がっっていることに気付きにくい。気付きにくいが故に静かに進行していく。そして表面上は帳尻が合っているが、中身はボロボロとなる。
価値とは相対的なものだ。貨幣というモノサシの価値も相対的であることを常に意識しておく必要がある。そして何らかの価値観に固執せず、視野を広く保つようにしたいものだ。