投資狂日記

自由を追求するブログ

財政の余力

トランプ政権が発足して100日が経過した。この間、これまでの秩序を破壊し世界中を揺るがしてきたが、その根本には何があるのか疑問に思っていた。

 

経済格差が顕著になっていることが根本にあるのだろうが、もっと切実な問題に直面しているのではないか。

それは米国の財政に余力がなくなりつつあるということだ。

 

米国の政府債務は膨れ上がっている。その利払い負担が年1兆ドルあって、これは国防予算の約9,000億ドルを上回っているという。NATOや日本などに防衛費の負担増を求めるのは米国に財政上の余力がないことを暗に示しているわけだ。

そしてドルは世界中へ供給され続け、それが株高と金利安につながり世界経済を支えてきたが、同時に米国は巨額の貿易赤字を抱えることになった。

この貿易赤字を改善するべくトランプ大統領は関税政策を推し進めたが、米国債価格が下落し金利が上昇すると関税政策を延期した。これも財政上の余力が気になったからなのだろう。

 

米国債は世界で最も信用のある金融商品であるが、その米国債の信用が揺るぎ始めている。

その米国債より信用の劣る日本国債はどうなのか。

日本政府に財政の余力はどれくらいあるのだろう。

 

参議院選挙が近づいていることもあり、減税を求める論調が出ている。

もし減税したとしたらその分は国債を発行して賄えばいいと思っているのだろうか。

 

素朴な疑問なのだが、国債を発行すればそれはすべて売れるものだと思っているのだろうか。発行した国債が売れ残るという状況を想像しないのだろうか。そもそも税負担のかわりに国債発行を主張する人は実際に国債を買ったことがあるのだろうか。

 

日銀の異次元緩和は終了し、日銀による国債買い入れが減少したので他の誰かに買ってもらわねばならない。国債が売れ残るということは、金融商品として魅力がないということだ。買い手がいなければ金利を上げて魅力を上げる必要が出てくる。これは将来の利払い負担の増加につながっていく。

 

世界最大の経済大国である米国でさえ政府の財政余力を気にしているのに、日本政府の財政は国債をじゃんじゃん発行しても問題ないとどうして言えるのだろう。

日本国債は自国民が買っているから?

日本国民は日本国債よりはるかに魅力ある金融商品があるとしても日本国債を選び続けるという経済的不合理な国民ということなのだろうか。

 

日本政府の財政が健全で問題ないと主張するなら、安全かつ魅力的な日本国債を買えばいい。でもそういう人に限って日本国債を買っているように見えないのはなぜなのだろう。