家電製品など多くの商品には取扱説明書(トリセツ)がついている。私はそれを比較的読むほうだと思うが、じっくり読む人はあまりいないのではないか。
トリセツを読まなくても問題なく使えたりすることもあるからだろう。トリセツそのものが非常に簡素になっている場合もある。だからトリセツをあえて積極的に自ら読もうとしなくなっている。
そしてもう一つの側面として、トリセツを読んでも理解できない人が増えているとも考えられるのではないか。
トリセツを読むというのは能動的な行動だ。トリセツはできるだけわかりやすいように文章だけでなく図解も使っているが、それでも読むことは頭を使うので負担になる。その負担に耐えられないと読むことをやめてしまうわけだ。トリセツを見た瞬間に「わからない」という反応をしてしまう。ひどくなると、わからないのはトリセツの説明が悪いせいにする。
他人のせいにして文句ばかり言う人はとにかく受動的だ。
ソファにふんぞり返ってぶつぶつ文句を言いながら座っていて、誰かがやってくれるのを待っている。頭を使って考えることも説明文を読むことも面倒だから誰かがやってくれというわけだ。
こうして状況が変わるのをひたすら受け身で待っているだけの人と、能動的に自ら考えて行動する人とでは、自ずと差が出てくるであろうことは容易に想像できる。経済格差が生じる要因はたくさんあるのだろうけど、行動が受動的か能動的かも要因の一つではないかと思っている。
ただでさえ活字を読む機会が減り視覚メディアへ移っている状況で、ますます受動的になっている。
こうした受動的な行動は、言語情報の処理能力や注意力、作業記憶、自己統制力などあらゆる面に影響を及ぼすらしい。一方、デジタル技術を能動的かつ意図的に利用する場合は害どころか有益だという。
知性や知力というのも筋肉と同じく能動的に使わないとどんどん衰えていくのだろう。
そう考えれば、ブログを読んだり書いたりすることは有益に違いない。