自分の行為が世の中に何のインパクトも与えないことというのはたくさんある。
株式投資では、ある株を買ったからといって株価に大きく影響するわけではない。むろん、バフェットのような大投資家になれば話は別だ。だがほとんどの個人投資家は個人単体で株価に影響を及ぼすことができない。
選挙もそうだろう。自分の一票によって当選者が決定するわけではない。多くの若者は、選挙の投票に行ったところで何も変わらないから行くだけ無駄だと考えている。
いわば人為の及ばないことがあるのは誰でも感じている。
一方、人為が及ぶと考えているものもある。
例えば経済政策だ。デフレを脱却するには大規模に金融緩和すればいいとか、財政支出を増やせばいいだとか、もっと減税すればいいとか、経済学者や経済アナリストとかが主張している。まるで経済を自由自在に操れるかのような断言的な物言いをしている。そして多くの人がそういうはっきりした言説に引き寄せられていく。
でも現実はそう単純ではない。
世の中は複雑に物事が入り組んでいて、思うようにはならない。だからこそ多くの学者が研究を続けているわけだ。
人為が及ぶところと及ばないところを意識することは謙虚になるために必要だ。
また、人為が及ばないからといって全くの無力というわけでもない。
自然災害の猛威は人為の及ばないところだが、一方で長い年月をかけて地球の環境を破壊してきたという人為が招いたことでもある。
非常に小さな出来事が、最終的に予想もしていなかったような大きな出来事につながることを「バタフライ効果」という。
人為が及ばないと思っていてもそのわずかな人為が大きな出来事を生むかもしれないし、壮大な人為を及ぼしてもほとんど影響がないかもしれない。
人為によってどうにでも変化させられると傲慢になってもいけないし、全くの無力だと悲観してもいけない。
結局は自分のコントロールが及ぶところに注力することが一番なのだろう。