このブログでよく読まれているのが以下の記事だ。
なぜ読まれているのか考えてみると、「馬」という言葉が出てくることから競馬好きの人が馬の見分け方に興味を示したのではないかと思っている。だが残念なことに私は競馬をまったくやらないので競馬のことについてはまったくわからない。競馬好きの人がこの記事を読んだところであまり役には立たないだろうから、その点で少し申し訳なく感じてしまう。
ところで、この記事を再度自分で読んでみてちょっと違う角度から解釈してみた。
馬の鑑定名人である伯楽は、嫌いな相手に名馬の鑑定法を教え、気に入った相手には駄馬の鑑定法を教えたという。
それは、名馬はめったに現れるものではなくその見分け方はあまり役に立たないが、駄馬は毎日のように売買されるものであり、むしろ駄馬の見分け方のほうが実用的だからだ。
頻繁に売買される駄馬と、めったに現れないがために売買されること自体が少ない名馬。
駄馬の売買を繰り返すことで馬を見分ける目を養い、いずれ名馬を見分けることができるようになることも示唆しているのかもしれない。
そもそも名馬とは何なのか。
名馬がめったに売買されないのはなぜか。
数が少ないことはもちろんだが、その名馬の持ち主がもともと売ることを考えていないからだ。売るとしたら何かしら特別な事情があるからであって、それがなかったら保有し続けるはずだ。保有することにこそ意味がある。なかなか手に入らないからこそ手放さない。そして時間が経つほどその価値が増していく。価値が増していくからこそますます手放さない。
もし、駄馬の売買をしているうちに名馬と思われる馬が現れたらどうするだろう。
すぐに買ったとして、その後はどうするのか。
高い値段をつけてすぐに売ってしまうのだろうか。
高く売れるとは限らない。他人は名馬とは思っていないかもしれないからだ。
名馬をすぐに売りに出してしまうということは、まるで駄馬ように扱っているということではないのか。自分で名馬と思って買ったにもかかわらず、実際は名馬とは思っていないのではないか。増えていくはずの価値を自ら手放そうとしているのなら、名馬を駄馬として扱っていることと同じだ。
伯楽は、気に入った人物に馬の売買に役立つように駄馬の見分け方を教えた。
これは売買するのはあくまで駄馬であって、名馬は売買するものではなく保有するものであることを暗に示しているのではないか。
これは株式投資にもあてはまることだ。
優良株を手に入れているにもかかわらず、自らその価値を手放していないか。
「名伯楽」とは、優れた資質の人物を見抜いて成長させる人のことを意味する言葉だ。
この言葉からすれば、株式投資家は優れた企業を見抜いてその成長を促す「名伯楽」となることを目指すべきなのだろう。