日本では投資といいながら実は投機であることが多い。投資をしているつもりでも実態は投機で、本人もそれを自覚していない。
そもそも投機とは何か。
投機という言葉はもともと禅宗の用語で「修行者の機根が禅の真精神にかなうこと。師弟の心機が一致投合すること。」を意味している。
師匠と弟子が問いかけ答えあうことを禅問答というが、それを通じて師匠と弟子の心機を合わせていくことを投機と言った。
このことから投機という言葉は深い思索があって成り立つ。
投機という言葉が市場の取引で用いられるようになったのは、売り手と買い手の思惑が互いにぶつかり合うことによって価格が決まることが禅問答で心機を一致投合させていくことに似ているからなのかもしれない。
こう考えると投機というのは実際には難易度が高いのではないか。
相手の思惑を探る洞察力が必要となるし、しかもその相手は無数にいる。投機には深い思索が必要で、浅はかな考えでは上手くいかない。投機を英語にするとスペキュレーションというが、これには思索や推測という意味が含まれている。投機家として有名なのはジョージ・ソロスだが、彼はもともとは哲学者になりたかったらしい。彼の行動は深い思索があってこそであり、彼ほどではないにせよ思索に富んだ人物を相手にしなければならないのだから難易度は高くなる。
デイトレードなどで成功する人はほんの一握りで、ほとんど退場していくことがそれを物語っている。でも表面的には簡単そうに見えてとっつきやすくもあるから多くの人が吸い寄せられていく。
簡単そうに見えるものが実は一番難しいというのはよくあることだ。
投機も万人向けではなく、ごく一握りの人のものと考えた方がいい。
それでも投機をしたいのならすればいい。ただ資金と時間を無駄にする覚悟がいる。その覚悟もなければ身を滅ぼすだけだ。
もし投資だと思ってしていたことが投機だったとしたら、それにいち早く気づいて軌道修正するのが賢明だと思う。