投資狂日記

自由を追求するブログ

美意識について

レストランなどで時折変な箸の持ち方をして食事をしている人を見かける。テレビでもタレントが食事レポートする際の箸の持ち方に自然と目が行ってしまうことがある。

 

箸の持ち方によって育ちの良さがわかると世間でよく言われる。その一方で、箸の持ち方くらいで人を判断するなという批判的意見もある。

 

確かに、箸をどう使おうとちゃんと食事ができているなら別に問題ないともいえる。

でも、例えば物凄い美人の女性やイケメンの男性が変な箸の持ち方で食事をする姿を見て幻滅してしまうのはなぜなのだろう。

 

もちろんそんなこと気にならない人もいるのだろう。その一方で、箸の使い方という細かなところにこそその人の本質があるのではないかと感じる人もいるのだ。

 

それは服装や髪型などの外見と違って、内面の美意識からにじみ出てくるものだと感じるからかもしれない。これは文字の綺麗さにも共通している気がする。

 

箸の使い方は親から教えられる。そこで正しく教えられれば正しい使い方を自然と身に着けるようになるのだろうが、そこには親の美意識が反映しているともいえる。親が箸の持ち方などに無頓着な美意識なら子の美意識もそうなる可能性が高い。

ただ、親から教わらなくても自分で他人の姿をみて自ら身に着けるということもあるはずだ。文字の綺麗さには自分の美意識が反映されていて、汚い字を書くことが自分自身で許せないからこそ綺麗に書こうと意識することで次第に文字が美しくなっていく。

 

他人の変な箸の持ち方で幻滅するのは、自分の美意識の基準から外れているからなのだろう。

何が美しくて何がそうでないかの基準は当然ながら人によって異なる。これは価値観やモラルでもある。

 

これは企業にも当てはまっていて、自分の美意識や価値観からしてどうにも受け入れがたく感じる企業があったりする。

どんなに儲かっていても、それが法律のグレーゾーンだったり、従業員を使い捨てのようにこき使うような企業であるなら投資しようとは思わない。

 

外見がいくら良くても、その行動に美意識が感じられなければその外見も色褪せるどころか逆効果になりうるのだ。

 

たかが箸の持ち方、されどそこにはその人の美意識が垣間見える。