投資狂日記

自由を追求するブログ

長生きリスク

米イェール大学助教授の成田悠輔氏の過去の発言内容が今頃になって物議を醸しているらしい。

成田氏は、「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」と発言していた。

最近様々なメディアにも登場していて、整理された思考と本質を突いたわかりやすい言葉で話すことから私も成田氏に注目している。

 

物議を呼んでいるのは「集団自決」や「集団切腹」といった過激な言葉が使われているからだろうが、その意図としては高齢化の弊害をなくすためにもっと世代交代を進めるべきというところにある。

世代交代を進めるために「集団自決」や「集団切腹」といった言葉が適切であるかどうかは別として、それだけ高齢化による弊害が深刻だともいえる。

 

たしかにあちこちで高齢者が役職や地位にしがみつき居座っている。

また時折見かけるのが、お店のレジで高齢者が店員に対し暴言を吐いたり高圧的に接しているところだ。

こういう姿を見ていて、自分自身は絶対こんな風になるまいと心に誓っている。

 

今後も高齢化は続くと思うが、それと同時に思うのは、高齢者を公然と厄介者扱いするような風潮が出てくるかもしれないということだ。

長生きすることによるリスクは、主に経済的なことがメインだった。老後の生活資金をどうするか、年金は大丈夫なのか、医療費はどれくらいかかるのか、介護費用はどうするのか、といったことが長生きすることで生じる心配事だった。

だが、これからは長生きしてしまうこと自体が社会から厄介な存在とされてしまうリスクがあるように感じる。医療や年金といった社会保障は若い世代によって支えられており、その若い世代は自分たちが生きていくことだけで精一杯になりつつあるからだ。

 

若者たちが高齢者の負担を押し付けられていると感じ、それが限界点に到達するのはちょうど私の世代(50歳前後)が高齢者になったあたりではないかと最近思うようになった。

若者が高齢者を厄介者扱いするようになれば、老後に経済的に豊かであっても幸せに過ごせるかどうかはわからない。経済的に余裕がなかったらかなり悲惨な老後生活となるかもしれない。

 

もうだいぶ前から長生きしようと思わなくなったのは、こういうことがなんとなく頭に浮かんだからでもある。

成田氏は「安楽死制度」にも触れていたが、近い将来に「安楽死」や「尊厳死」が本格的に議論される時が来るだろう。

 

長生きすることを目指すより、いつ亡くなっても後悔が少ないように充実した日々を過ごすことに意識を向けたほうがいい。

 

「充実した人生は長寿にまさる」

 

哲学者セネカのこの言葉を心に留めておきたい。