投資狂日記

自由を追求するブログ

綺麗な字を書く人

うちの二人の娘たちは習い事の一つとして習字をやっている。二人ともなかなかセンスがあるらしく、たまに賞をもらったりする。

そしてこの前、中学生の長女のノートをちらりと見たところ、その文字はだいぶ大人びたものとなっていた。やはり小学生の時とは違う。習字のおかげで文字に対する美意識が自然と身についてきたのだろう。このまま綺麗な文字を書く人であってほしいと思っている。

 

というのもこれまでの私の経験上、綺麗な文字を書く人はほぼすべて聡明な人だったからだ。だからといって汚い文字の人は聡明でないというわけではない。もちろん聡明な人でも文字が汚い人はいるが、綺麗な文字を書く人がどうしょうもなく駄目な人だったということは不思議とないのだ。

 

年齢を重ねると性格が顔ににじみ出てくるというが、文字にもその人の性格が現れると思っている。文字は自分だけでなく他人にも読まれるものだから、他人に読まれることを意識して丁寧に文字を書く人は次第に綺麗な文字となっていく。これは身だしなみに気を付けることと同じで、他人の目を意識しているからだ。だから綺麗な文字を見たことによる印象はすごく良くなるし、それだけで得なのだ。そう思って自分でもできるだけ綺麗な字を書こうとしてきた。万年筆やボールペンなどの筆記具にもこだわったりもした。

 

最近は文字を書く機会がめっきり減ってしまった。しかも大人になると早く書くことに意識が向いてしまい、字が汚くなってしまっている。それが心の汚さにもつながってしまうのではないかと思ったりする。

これからまだまだ文字を書く機会が多い娘たちには綺麗な文字を書き続けてほしいと願うばかりだ。