投資狂日記

自由を追求するブログ

危険への感応度

最近、私がいつも通る道で立て続けに危険な場面に遭遇した。

それはT字路で、細い道と広い道が交わっているところで起きた。細い道は両側に家が建っていて塀があり見通しが悪く、広い道に出るときは一時停止しなければならない。当然ながら道路には「止まれ」の標識がある。でもこんなところはどこにでもある。

 

ある日、数人の子供が自転車に乗って細い道を走ってきてその中の一人が広い道に出ようとした。私は一旦停止するだろうと思ったが、その子はまったく止まる気配もせず広い道に突っ込んできた。ちょうど広い道の方では車が来ており、「あっ」と思った瞬間、驚いた車のドライバーが慌ててブレーキを踏んで事なきを得た。危ない目にあった子はさすがに怖い思いをしたのかドライバーに謝りながら去っていった。

 

そして別の日、同じような光景を目にした。だが今度はいい歳した大人だ。内心ヒヤッとしたのだろうが何事もなかったように平然とその場を去っていった。

 

私が言いたいのは交通ルールを守れということではない。

見通しの悪い細い道から広い道に出るとき、危険を感じないのだろうかということだ。車が来ていないと確信を持っているのだろうか。「もしかしたら車が来ていて衝突するかもしれない」と考えないのだろうか。注意力が十分でない子供ならまだわかる。だがいい歳した大人が平然と危険を感じずに突っ込んでいくのはなぜなのだろう。危険な目に遭ったことがないからなのか。危険だと感じてもすぐに忘れてしまい、また同じようなことをし続けるのだろうか。何も考えていないのか、想像力がないのか。

 

何を危険と感じるかは人それぞれだ。

私は株式投資をしているが、投資をしていない人からすれば”損するかもしれない危険なこと”をしていると見えるかもしれない。

道路を飛び出したら危ないと分かっているはずなのに平然と飛び出す人にとって危険なこととは何なのだろう。