今日も暑い。非常に暑い。
この時期の異常な暑さによって電力需給が逼迫するらしい。
エネルギーをどうするかは資源の少ない日本にとって永遠の課題だ。東日本大震災での原発事故、地球温暖化に対応するため自然エネルギーへの転換、そしてロシアのウクライナ侵攻によって引き起こされた原油高と問題が山積している。
にもかかわらず、日本政府の取り組みは遅々として進んでいないように見える。その結果、最近のような突発的な猛暑によって電力需給が逼迫する事態となってしまう。
原発の再稼働というのが現実的にとりうる手段だと思うのだが、それに強硬に反対する人々もいる。でも原発再稼働に反対する人々に今日のような電力逼迫時にどうするのかという解決案はない。
結局行きつくところが節電の「要請」というわけだ。「みんなで一緒に乗り切りましょう」という精神論になってしまう。コロナ禍もそれでなんとかやってきたことに味を占めたのか、電力逼迫も根性でやり過ごすつもりのようだ。
こういうのを見ていると、日本という国はあらゆることが惰性で退化している気がする。
人口減少、少子高齢化、デフレ経済、巨額の財政赤字みんなそうだ。
もし、食糧逼迫となったらどうするのだろう。きっと食事の回数を減らす要請でもするに違いない。「みんなで空腹に耐えましょう」というわけだ。
日本は行き着くところまで行かないと変わらない。
鎖国からの明治維新もそうだし、軍国主義から敗戦を経て民主主義に一気に転換したのもそうだ。
次の極限は何か。
バブルが弾けてデフレに陥り日本経済がどんどん弱くなっている。それに伴って政府の財政赤字が膨らんでいった。この財政赤字が行き着くところまで行き、それが大変化を引き起こすとみている。
物価高、エネルギー問題、そしてそれが国民生活に影響を与え、その対策で政府の財政赤字はさらに加速していき極限までまっしぐらに進んでいく。
電力逼迫という形で現れた症状は、この極限へ向かう一つの前兆なのかもしれない。