日曜日の夕方、私の子供たちはテレビの「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」を観るのが習慣となっている。
その「ちびまる子ちゃん」で、昨日なかなか考えさせられる場面があった。
まる子のお母さんは100万円の価値がある指輪を持っているという。だがそれはプレゼントされたものではなくお母さんが自分で3万円を出して買ったものだ。
一方、まる子のクラスメイトである藤木君は100万円の価値があるホンモノを持っていることを羨ましがる。というのも、藤木君のお父さんは借金までして買った指輪をお母さんにプレゼントしたが、それがニセモノだったらしいのだ。
落ち込む藤木君をまる子は「お父さんが借金までして買ったんだからニセモノだろうとホンモノだろうと宝物だよ。藤木んちの指輪はたっぷり心がこもってるじゃん」と言って励ます。
そこにクラスメイトの野口さんがきて一言、
「本当はどっちがいい?心のこもったニセモノと心のこもっていないホンモノと、さくらさん本当はどっちが欲しい?」
と言って去っていく。
これはなかなか難しい問いだ。
「価値とは何か」ということを考えさせられる。
ホンモノというのは公に認められている価値だ。ニセモノにはそうした価値はない。
だが、ニセモノであってもそれに人の心がこもっていることで自分にとっては価値あるものになりうる。
他人からすればガラクタであっても自分にとっては大切なものというのは誰にでもある。
価値というのは絶対的な評価ではなく相対的な評価なのだ。
ホンモノといっても突き詰めていけばそれは多数大勢が価値あるものとしているだけだ。多数によって価値あると評価されているから価値があると思い込んでいる。
そして多くの他人から評価を得ることが価値あることとされ、他人の評価を気にして行動するようになっていないか。
多くの人から良い評価を得ることが本当に価値あることなのか。
以前、ブログ記事でも取り上げた江頭2:50のスピーチ動画での言葉を思い出した。
「もし99人が馬鹿にしても、1人が応援してくれればそれでいいじゃねえか」
必ずしも多くの人から評価されればいいというものでもない。
ホンモノと言われるものも実はそれほど価値あるものではないかもしれない。