その決算シーズンが始まり、企業分析をする時間が増えてきた。企業分析の要は決算書などの財務数値となるが、近頃はその財務数値の根底にある会計に限界があることを強く感じるようになった。
会計にはそれを成立させるための前提条件があり、それを「会計公準」という。その会計公準は3つあって、「企業実体の公準」「継続企業の公準」「貨幣的評価の公準」と呼ばれる。
このうち「貨幣的評価の公準」というのが会計の限界を意識させる。貨幣的評価の公準とは、企業の経済活動はすべて貨幣によって評価し計算されるという前提である。裏を返せば貨幣で測定できないものは会計の対象にならないということだ。
情報化社会が進むにつれて貨幣で測れない知的資本や人的資本など非財務資本の重要性が増している。例えば、IT企業における貸借対照表の資産項目は現預金が大部分を占めていたりする。収益を生み出す資産がほとんど現金となるとそもそも「資産とは何か」ということになる。会計的に資産とは、簡単に言えば「将来的に収益をもたらすことが期待される経済的価値のこと」だ。現金は確かに資産ではあるが、現金を持っているだけでは何も生み出さない。従来は工場や機械などの固定資産があったがIT企業にはそんなものはほとんどない。だがIT企業は収益を生み出しており、何らかの資産を有しているはずだが貨幣的に評価できないので貸借対照表には出てこないのだ。貨幣的に評価できないものが決算書に出てこない以上、財務数値の分析だけでは限界を感じてしまうのだ。
あと「貨幣的評価の公準」で問題と思うのは、この公準のもとでは貨幣価値は一定という暗黙の了解があることだ。だが現実は貨幣価値は変動している。本来はその貨幣価値の変動を会計に反映させないといけないのだが、現実には難しい。だから会計数値というのは名目的なもので貨幣の購買力を反映したものにはなっていない。だから伝統的企業と新興企業をそのまま比較することができるのかという本質的な疑問がある。
また、理論株価は将来キャッシュフローを現在価値に割り引くというように貨幣価値を考慮するが、それと比較する1株当たり純資産というのは過去の貨幣価値の変化を反映していないのだから厳密には比較しても意味がないことになる。
まあ貨幣価値の変化についてはそこまで厳密に考える必要もないのだろうが、財務数値に出てこない見えない資本をどう把握するかというのは今後の大きなテーマになるだろう。世界でも見えない資本についての議論が起きている。
現状では、財務数値の分析をベースにしつつ、就活サイトの評判で働きやすさや待遇面を調べるということなどで人的資本を考えてみたりして、その企業の見えない資本を推測するしかないのだろう。