投資狂日記

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脱成長を巡る議論

元日に放送されたNHKの「BS1スペシャル 欲望の資本主義2022 成長と分配のジレンマを超えて」を観た。この番組はシリーズ化され毎年放送されていて、正月気分からはかけ離れた硬派な内容が面白い。

 

今回は資本主義における脱成長を巡る熱い議論が興味深い。

脱成長を主張する「人新世の資本論」がベストセラーとなった経済思想家の斎藤幸平氏と、共産主義の苦い経験から資本主義の枠内で解決策を探るチェコの経済学者トーマス・セドラチェク氏が対談した。

両者は、経済成長が至上命題となっている現状が問題であるとの認識で共通している。だが、それを解決するには資本主義に変わる新しいシステムが必要とする斎藤氏と、あくまで資本主義の中で解決策を模索するべきとするセドラチェク氏が真っ向から対立する。

斎藤氏は脱成長の先にはコミュニズムが念頭にあるようだが、私はそれになんとなく引っかかるものを感じていて、斎藤氏の主張にセドラチェク氏がどのように論じるのか注目していた。セドラチェク氏は自身が共産主義社会を経験しており、その酷さが身にしみているからか共産主義社会主義には明確に否定的立場を示していた。ときに強い口調になってもいた。斎藤氏も必死に持論を展開するが、セドラチェク氏には納得のいく部分は少なかったようだ。

 

資本主義は完璧なものではなく欠陥もある。だが、だからといって捨て去ってしまうほど酷いものとも思わない。

脱成長の先にあるのは限られたパイを巡って醜い争いが起こるだけだ。結局、自分の利得は他人の損失というゼロサムゲームになる。そして一度利得を得るとそれが既得権益化し、持つ者と持たざる者の分断がより激しくなり様々な差別が生じうるのではなかろうか。そして持つ者も次第に貧しくなっていく。そんな気がしてならない。

 

とはいえ、経済成長もそれが行き過ぎると弊害が生じるのも確かだ。気候変動など地球環境への対応と経済成長のバランスをいかにとるか。セドラチェク氏も言うように、こんなことが起きたのはこの惑星上で初めてなわけで、明確な解決策を誰も知らないのだ。だが解決策はおそらく資本主義の中にあると思っている。