投資狂日記

自由を追求するブログ

お金と感情

最近、嫌な光景を目にする機会が多い。

受付やレジなどで不機嫌そうに見えたり、何故か怒っているように見える人だ。

お店の人は「いらっしゃいませ」や「おはようございます」など必ず挨拶をするものだが、相手の客はブスっとしていて何も言わない。そして注文をボソッと不機嫌そうに言うのだ。

実際は不機嫌でもないし怒ってもいないのかもしれない。でも相手からすればいい気分はしない。

受付やレジでは学生のアルバイトも数多くいる。そうした若者が不機嫌そうな大人を見てどう思うだろう。社会に出ると将来あんな姿になるのかと思ったら、希望も何もなくなるに違いない。

 

こうした大人たちは、自分の行動によって相手が不快な気分になるかもしれないということに気付かないのだろうか。それとも、客なんだから別にそんなことどうでもいいと思っているのだろうか。

 

私はお店などに入ったら「こんにちは」「おはようございます」など必ず言うことにしているし、飲食店ではレジで会計を済ませたあと「ごちそうさまでした」と必ず言う。私は社交的ではないし、人付き合いは苦手なほうだが、こうした挨拶は最低限の礼儀だと思っている。そして自分の子供にもそうしてほしいので、挨拶する姿を見せるようにしている。

店員と客という金銭を介する関係であっても、相手は感情のある人間だ。たった一言挨拶するだけでいいのにそれすらしないのは相手を人間と見ていないからなのか。お金を払う立場の優越感に浸りたいからなのか。

 

お金は天下の回りものというが、感情もお金に乗って世の中を巡るものだと思う。

不機嫌にお金を渡せば、受け取った側にも不機嫌が移る。そしてその不機嫌がお金と共に巡ってどんどん世の中に広まっていく。それが積もり積もって世の中がギスギスしたものとなっていき、メンタルに不調をきたす人が増えていく。これは資本主義社会に生じる悪い側面なのかもしれない。

 

不機嫌そうに見える人は幸せそうに見えないし、実際幸せではないのだろう。

逆に、相手の気分を害さないような振舞いをしている人は穏やかだし落ち着いていて満ち足りているように見える。そしてそういう人は何事もうまくいっているのだろう。

うまくいっているからそういう振舞いができるのではなくて、もともとそういう振舞いをしてきたからうまくいっているのだ。

 

感情がお金に乗って波及するのなら、プラスの感情を乗せたいものだ。そうすれば不機嫌に見える人も少しは減るに違いない。