投資狂日記

自由を追求するブログ

限界と言われ始めた資本主義されど代わりの姿は見えず

資本主義が限界にきていると言われるようになった。たしかに経済格差は拡大し環境破壊が気候変動を引き起こしているとされる。

 

そこで資本主義に代わるシステムを模索する動きが出てきて、若い世代では社会主義に肯定的な人が増えてきているらしい。

 

そしてみんなでお互いを助け合う社会にしようということで共同体とかコミュニティーを重視しようとする。確かに助け合いは必要だが、そのために共同体とかコミュニティーが前面に出てくることは必要なのだろうか。

 

コミュニティーをつくるということは「境界」をつくるということだ。

国というコミュニティー、企業というコミュニティー、学校というコミュニティー、あらゆるコミュニティーは必然的に境界を生む。その境界によって内側と外側が区別されることになる。そしてその境界があるからこそ不必要な対立が生まれるのだ。

 

宇宙飛行士は「宇宙船から見た地球には国境線はない」と言ったが、これは本質をついているのではないか。海外旅行が好きな人は、あらゆる国へ行ってその国で出会った人々に親切にされたり友人になったりすることも多いはずだ。個人レベルではなんら問題ないのに、それが国というコミュニティーのレベルになると外交問題が生じたり最悪では戦争になったりする。

境界の外でコミュニティーが対立するだけではない。コミュニティーの内側でも異端者や少数派は排除の対象となる。学校のイジメなど典型的な例だ。コミュニティーという境界があるからそこに閉じ込められる。そんな境界など取っ払ってしまえば自由に動けるようになるのだ。コミュニティーが重視されると、個人の自由が奪われる。

 

こうした境界によるコミュニティーの対立が経済格差や環境破壊に影響していないといいきれるだろうか。

資本主義は万能ではなく欠点ももちろんあるけれど、すべて否定されるべきものでもない。

資本主義に代わる姿は明確に見えないのだから、まずは資本主義の使い方を見直すことが先決なのではなかろうか。