投資狂日記

自由を追求するブログ

株を買うときの感覚

これまで履いていたスニーカーがだいぶボロボロになってきたので、新しいスニーカーを買うことにした。ネットで見当をつけてお店で実物を確認して買うつもりであれこれチェックしていると、やはり値段が気になってくる。セール品のものでもいいかと思う一方で、高いけど気に入ったデザインのものがいいとも思って悩み始める。セール品は高いものの半額で買える。値段で選ぶか、高くても気に入ったデザインを選ぶか。

 

ここであることに気付き苦笑してしまった。

株を買うときには平気で100万円以上をクリック一つで動かすのに、スニーカーを買うのに数千円の差額を気にして迷っているのだ。

 

投資は金銭感覚を変化させる。

初めて株を買ったときはとてもドキドキしたものだ。たとえ2,3万円だとしても将来どうなるかわからないものを買うのだから当たり前だ。株を買ったとしても手許に株券が来るわけでもない。お金をドブに捨てるのと同じような感覚がした。

 

だがいったんそれを乗り越えるとそうした心理的なハードルは薄れていった。

「金銭感覚が麻痺する」という表現があるが、麻痺というのとも違う。だけど感覚が変化したのは確かだ。

その変化はなんなのか。

モノを買うのと株を買うのとで何が違うのか。

 

株を「買う」という表現がふさわしくないのかもしれない。

株を「買う」というよりお金を株に「変換」しているというほうがしっくりくる。株はいずれお金に「変換」することになる。

 

「買う」というとお金が失われるが、「変換」ならば形を変えるだけだ。

初めて株を買ったときにびくびくするのは「買う」ことによってお金を失うと感じるからかもしれない。でも「変換」なら必ずしも失うことにはならない。

もちろん株は価格が変動するから結果的に失うこともある。だが逆に儲かることもあるわけで、一方的に失うわけではない。

この「一方的に失うわけでない」という感覚をもっているから平気で百万円以上のお金を株に「変換」できるのだ。

 

でも「買う」となるととても慎重になる。

結局、スニーカーはデザインが気に入ったものを買った。

少し心が痛むのを感じた。