米国の富裕層は蓄えた富のほんの一部しか税金を払っていない、と非営利の米報道機関プロパブリカが発表した。
どういう方法で納税記録を入手したのか疑問が残るが、富裕層の税負担がいかに低いかを強調している。
確かに米国の富裕層は莫大な富を有していて、税金を支払っていないように見える。だがそれは税制によるところが大きい。所得への課税が中心であるところに原因がある。これは米国だけではなく日本でもそうだ。
例えば、株式は保有しているだけでは税金はかからない。譲渡したときの譲渡益に対して課税されるから、保有している株式の含み益がどれだけ大きかろうと譲渡しない限り課税されない。だから、厳密に言えば税金を払っていないのではなく、支払いを将来に繰り延べているだけだ。いずれ株式を譲渡するときがくるが、それがいつかはわからない。1年後かもしれないし、株式保有者が死亡して相続人が相続するときかもしれない。まとめて譲渡するかもしれないし、こまめに少しずつ譲渡していくかもしれない。また、時の経過で含み損益は変動するから譲渡時に譲渡益が発生するとは限らない。
富裕層を叩くことで彼らへの課税強化を訴えたいのだろうが、あたかも税金逃れのような印象を持たせる報道のやり方にいい気持ちはしない。
富裕層はルールを巧みに利用しているだけだ。別に富裕層でなくても税制というルールをよく知り行動することは誰でもできる。
だが、ルールは完璧なわけではない。だから歪みが生じる。富裕層の税負担もその歪みだ。
今後そのルールが変化するかもしれない。
そうするとまたそのルールを巧みに利用しようとする者が現れるだろう。
サッカーにはオフサイドというルールがある。
オフサイドルールはゴール前での待ち伏せ防止のためにあるが、このルールがなかったらどうなるか。おそらくゴール前にプレーヤーが密集するようになるだろう。極端に考えれば、ゴールを防ぐために背の高いプレーヤーをゴールキーパーと一緒にゴールライン上に並べるようになるかもしれない。そうなったらメッシのような小柄なプレーヤーの華麗なドリブルは見られなくなるだろう。
そんなスポーツは面白いといえるだろうか。オフサイドというルールがサッカーというスポーツを面白くしているのだ。
税制というルールも変化させていくべきなのだろうが、その変化で社会の活力を奪いつまらなくしてしまうこともありうる。
ジェフ・ベゾスはアマゾンで人々の生活を便利にし、莫大な雇用を生んだ。それによって富を得た。人々に貢献することによって富を得た者を罰するような風潮になったら、そんな社会に活力は生まれるだろうか。
富裕層を妬んで叩くだけではおかしな方向へ向かうだけだと思う。