街中でウーバーイーツの配達員を頻繁に見かけるようになった。コロナ禍によって仕事を失い、配達員の仕事をしている人も多いのだろう。こうしたウーバーイーツに限らず、ギグワーカーと呼ばれるフリーランスが増えている。
フリーランスというと、不安定である、社会保障がない、搾取される、といったイメージがある。確かに現状ではそういった側面があることは否めない。だが一方で、時間の融通が利く、したくない仕事ならば引き受けなくてもいいなど、自由な働き方ができることが大きなメリットでもあるのも確かだ。
フリーランスが増加するにつれて被雇用者にも影響が出てくる。これまでの労働者保護制度は、雇用を守ること、雇用されている人を保護することだった。それがフリーランスの増加によってフリーランスの発言権が増し、被雇用者だけではなくフリーランスに対しても保護の対象となっていくはずだ。またフリーランスに仕事を依頼する側も、フリーランスに不当な扱いをすればたちまちそれが世の中に広まり非難を受けるようになるだろう。
既存の労働組合も難しい立場になる。労働組合は正規雇用者を守るという前提であり、自分たちの権益を守るには非正規雇用者が存在した方が好都合だった。正規雇用者が高い賃金を維持できるのは、非正規雇用者を低い賃金のまま働かせることにあるからだ。
だが、フリーランスの増加によってその立場が強くなり、それによって非正規雇用者についても不当な扱いをすることは困難になる。そうなれば正規雇用者であることで得られた既得権は失われることになるだろう。
こうなるともはや雇用関係というのが意味をもたないものになるかもしれない。自分に何ができて、それが労働の対価となりうるかという根本が問われることになる。能力の差によって経済格差が大きくなるかもしれない。だがそれは経済的な側面でしかない。
フリーランスは自由であることに価値を置いており、経済的な豊かさが幸福であるとは限らないという価値観を持っている。フリーランスの増加というのは、「幸福とは何か」という問いに答えようとしていることの現れなのかもしれない。