投資狂日記

自由を追求するブログ

バブルなのは貨幣ではないのか

日経平均株価が30年ぶりに3万円台を回復したが、現状の株価水準がバブルなのかどうかについては見方が分かれているようだ。日経新聞の記事によると、市場関係者へのアンケートでは「バブル」または「ややバブル」とみるのが半数強を占めたが「妥当」という見方も多く2つの見方が拮抗しているという。

 

バブル的な要素があることはたしかだが、一方でそれほど過熱しすぎているほどでもない。バブルのようでバブルでない。でも何か違和感がある。

 

この違和感は何なのだろう。

 

バブルなのは株式などではなく貨幣なのではないか。

コロナ禍以前から金融緩和はなされていたが、コロナ禍によってさらに金融緩和がなされ貨幣が溢れている。これだけ貨幣が溢れているということで貨幣価値は下がっているはずだが、コロナ禍によって生活不安を抱える状況ではどうしても貨幣が必要であるため貨幣価値の下落が覆い隠されている。そのすべてが覆い隠せず、溢れ出た貨幣が資産価格の上昇となって表れているのではないか。

そして前にも言ったが、最近の資産価格の上昇は将来のインフレに備えるために貨幣から株式などへの資産へ変換する動きによるものではないのか。

 

これまでバブルというと株式や不動産・コモディティなどについての現象だった。だが貨幣がバブルということだってありうる。デフレと低金利が続き、大規模な金融緩和が続いたがインフレには程遠かった。しかし、インフレが起きていないようで実は水面下でじわじわ進行しており、ある日突然火山の噴火のように噴き出すのかもしれない。そのとき貨幣の価値は雪崩のように崩れていく。

 

バブルは必ず弾ける。そしてバブルが弾けてはじめてバブルだったとわかるという。

バブルだったのは貨幣だとその時わかるのかもしれない。