株式や不動産、貴金属といった資産は貨幣によって価値が計られる。労働の価値は一般的には貨幣とともに時給・日給といった時間によっても計られる。
でも貨幣にも時間にも価値があって、その価値は絶対的に決まっているわけではない。価値を計るモノサシ自体も価値が変化する相対的なものだ。
円、ドル、ユーロなど貨幣は為替レートで互いに価値が調整されて常に変動している。ある資産の価格が上昇したというのは、ある貨幣をモノサシにして計った結果だが、もし他の貨幣によって計ったら資産の価格が下がっていたということは当然ありうる。モノサシの価値自体も変動しているからだ。
労働の価値も時間の価値によって変化する。時間がたくさんある若い時は時間価値が低いから相対的に労働価値が大きくなる。歳をとるにつれて残されている時間は少なくなり時間価値が上昇して労働価値は相対的に低下していく。でも時間価値というのは個人的で感覚的なものだ。退屈な時は時間が長く感じるし、何かに没頭しているときは時間は短く感じるから、時間の価値というのは計りがたいかもしれない。
でも貨幣の価値のみならず時間の価値が変化していることを意識したら、労働の価値についても考えるようになる。
しょせん価値というのは相対的なもの。ある価値を計るモノサシ自体の価値も相対的なのだから、何らかの価値観に固執してしまうと視野が狭くなる。寛容さがなくなるというのはおそらくこういうことなのだろう。