投資狂日記

自由を追求するブログ

消費される才能

私は音楽を聴くとき主にGoogle Play Musicを利用している。ところが今年中にYouTube Musicに移行するらしく、さっそく曲のデータを移行した。同時にサブスクリプションを薦められるのだが、それには契約しなかった。私は好きなミュージシャンの好きな曲が聴きたいのであって、あらゆる曲を聴きたい放題というのにはあまり惹かれないからだ。

 

だが今では音楽はサブスクリプションで聴くことが主流になりつつあるらしい。しかも、そこで支持される曲は全く無名の人が作ったものだったりする。逆にいえば自分の創作物を公表するハードルが限りなく低くなっていて、そうした環境から新しい才能が見出される可能性が広がったといえる。これ自体はすばらしいことだ。

 

その一方で、それが創作者のマネタイズにつながるかというと、それは厳しい状況ではないかと思う。仮に一発当てたとしてもその次につながるとはいえず、その一発だけで食っていくというのは難しい。才能ある人が次々に現れるだろうが、その都度消費されて消えていってしまうのではないか。そんな気がしてならない。食っていけるのは一握りの才能という厳しい現実がある。

それを見越してサブスクリプションからの収入を当てにせず、むしろ広告宣伝のように利用してライブやコンサートに誘導するという戦略が有効と思えるが、新型コロナの影響で当分はそれも難しい。

 

結局儲けるのは創作者に場を提供する胴元ということになる。そして今、胴元同士が熾烈な競争をしている。そして消費者はその中から才能を発見し、次々にブームが生まれる。創作者も次々に現れては消えていく。そうなるといかに大衆に支持されるかという方向へ向かう。その先には何があるのだろう。

 

投資家の観点からすれば、こうした胴元の収益力は高く魅力的に映る。だがそれが才能から吸い取ることによるものであるなら、その魅力が放つ光の裏には濃い影がある。