将棋の藤井七段が初タイトルに挑戦しているニュースがあった。その対局の様子を見て思ったことがある。
プロの将棋棋士は一手を指すのにものすごい時間を使う。
その時間は「考えている」のだろうか。それとも「悩んでいる」のだろうか。
姿を見ていると脳ミソをフル回転して考えているようでもあるし、いろいろ迷って悩み苦しんでいるようにも見える。
「悩む」というのはどういうことか。
解決方法がいくつかあるが、どれにしてよいのか迷って悶々とする。あるいは解決方法が思いつかず苦しむ。
思考が堂々巡りして先に進めない。だから苦しい。
情報が不足していたり、判断や比較するものさしが曖昧なために悩むことになる。
考えているつもりが実は悩んでいるだけだったりする。
心の内では選択肢は決まっているのに、様々なしがらみが選択を躊躇させる。他人に相談するのは、その人に背中を押してもらうことを期待するからだ。
考えることは自分なりの答えを出し何をすべきかが明確になることだ。
将棋の対局は「考える」と「悩む」の戦いでもあるのかもしれない。
より多く「考える」ことができた方が勝ち、「悩む」ことが増えれば負けるのだ。
定石にはない手を指されたら、その手についてあれこれ考え始める。だが常識外なために情報がなくどう判断すればいいか迷い始める。考えているつもりが迷い悩む状態になって時間を浪費し、適切な手を打てなくなってしまう。
藤井七段は、こうして相手を「考える」状態から「悩む」状態へ追い込むことが上手いのかもしれない。そしてそれまでの常識にはない手を考える力を持っているのだろう。
悩むことは貴重な時間を浪費させる。
そして考えているつもりでも悩んでしまう。
どうしたら考える状態になるのかということでまた悩んで苦しむ。
悩みは尽きない。
でも悩むよりも考えることを増やしていきたい。