投資狂日記

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「証拠がないこと」は「ないことの証拠」ではない

新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために首相が全国の小中高校に臨時休校を要請したことについて、「科学的根拠はあるのか」という批判がある。

 

一斉休校にすることによって感染拡大防止にどれくらい影響があるか科学的に検証していない、科学的な根拠がないのに一斉休校というのはやりすぎだ、と。

 

本当にそうなのか。

「一斉休校が感染拡大防止となる証拠がない」ことを、「一斉休校が感染拡大防止とならない証拠」と勘違いし、一斉休校に意味がないと言っているように思える。

 

科学的に検証するにはデータが必要で、データを集めそれを分析する必要がある。だが今回のような場合では、データを集めているうちに感染がさらに拡大し収拾がつかなくなるおそれがある。まずは感染拡大を防ぐことが肝要で、検証している時間的余裕はない。だから根拠などあるわけがない。

感染拡大を防ぐには集団で感染する可能性を減らし、なるべく人との接触を避けることだ。こんなことは専門家でなくてもわかることで、だから一斉休校を感染拡大防止の一つとして、首相は科学的根拠なく政治決断したのだろうと思う。

 

さらに、一斉休校させる法的根拠がないから「要請」という言い方になっている。要請に従うか否かは最終的に各自治体の判断となる。一部に従わないという判断をしたところもあるが大部分はこの要請に従った。いろんな文句を言うものの、従わなかったことで責任を問われるのを恐れたのだろう。逆に言えば首相はそれだけの責任を負う覚悟を持っていることになる。

 

新型コロナウイルスはまだわからないことが多く、だからこそデータが少なく科学的根拠となる証拠も揃っていない。

「ブラック・スワン」「まぐれ」「反脆弱性」のナシーム・ニコラス・タレブが述べていたことを思い出す。

 

”「証拠がないこと」を「ないことの証拠」と勘違いしてしまうことに問題がある。”