投資狂日記

自由を追求するブログ

予想という名の願望

年が明けて久々のブログ更新。

 

新年になると新たな目標とか設定することが多いけど、私はしないことにした。

年が明けたといっても連続した日々の通過点に過ぎないし、年初だから目標を設定するというのもなんかおかしい。目標を設定するなんていつだっていい。

そして目標に向かって頑張るというより、その日その日を無駄に過ごさないようにしたいと思っている。

 

また「今年の予想」というのもあちこちで見かける。株価や為替、景気などなどあらゆる予想が出ているが、悲観的な内容のようにみえて案外強気なニュアンスも感じる。

予想する人はあらゆる情報をもとに予想を立てているけど、人間である以上そこには感情が入り込む。例えば、株価で強気の予想をする人はそこまで上昇してほしいという願望が含まれていて、弱気の人は下がるのはここまでにしてほしいという願望が込められている。そしてこうした予想はしばらくすると忘れ去られ、何か新たな事象が起こるとまた新たな予想が出てくる。

だからこうした予想を真に受けないようにしている。所詮、将来のことはわからないのだから、こんな予想で振り回されたくない。

といいつつ、自分でも知らずのうちに予想して、それをもとに行動して失敗している。それもよく考えてみると予想ではなく自分の願望だったりするのだ。自分の願望を土台にして判断すれば間違う可能性は高くなるのは当然だ。

ただ、同じ間違いなら他人の予想で間違うより自分の予想で間違いたいと思う。