「孤独」をポジティブにとらえることが増えているように感じる。ひとりでいることを積極的に楽しもうとする姿勢が広まっているのだろう。
だが一方で、本当の意味で孤独であることに苦しんでいる人もいるのも確かだ。「私は孤独です」という人でも、実際には家族や友人・仕事仲間など多くの人とかかわっていたりする。「孤独」という言葉も人によって感じ方が違うのだ。
私自身はどうかというと、家族がいるので厳密には孤独ではない。だが友人は今のところいないといっていい。普段連絡を取り合ったりするする人もいないし、年賀状だって今年は2通しか来なかった。それもあくまで儀礼的なもので、もうずっと会っていない。勤めていた会社も辞めてしまったので職場の同僚もいなくなった。こんな状況だからほぼ孤独といっていいのかもしれないが、家族という拠り所がある以上厳密には孤独ではないのだ。
でも私は今の状況をとても心地よく感じている。でも大多数の人から見れば孤独なのだろうが厳密には孤独ではない状況にあるなかで、「孤独」という言葉を軽々しく使うことは適切ではない、とふと思ったのだ。
じゃあどんな言葉がしっくりくるのか考えたら、「孤高」という言葉があった。
「孤高」には、
孤独で超然としていること。ひとりかけはなれて高い理想を持つこと。
俗世間から離れて、ひとり自分の志を守ること。
ただひとり、他とかけ離れて高い境地にいること。
といった意味がある。高い理想とか志とか高い境地とかそんな大層なものはないのだが、こうありたいという思いはある。
また、「孤立」という言葉があるが、こちらが苦しい立場にあることを表すのに適しているだろう。何らかの助けや心のよりどころを必要としているのに頼るべきところがないという意味での孤独だ。
孤独を楽しむという意味でポジティブにとらえるなら、「孤高になろう」とほぼ同じ意味でいい。
自分がこうありたいと思う方向へ一人で貫き通すのが孤高の生き方だ。
そんなふうでありたいと思う。