投資狂日記

自由を追求するブログ

投資における損切りについて

国内では森友学園にかかる財務省の文書改ざん問題、海外では米国のトランプ大統領国務長官などの解任による外交の混乱や保護主義的な貿易への懸念、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平国家主席の権力集中。こういった内外の政治的な動きから悲観的なコメントが様々なメディアで増えているように感じる。

 

実際、株式市場では日経平均がジリジリ下がってきている。私の信用取引でも含み損のままだ。

 

この含み損を抱えたとき、一定のルールを作って損切りした方がいいといわれる。確かに損失の拡大を防ぐことができ、資金を新たな投資に振り向けることができるというメリットがある。

その一方で、含み損の状態をあと少し辛抱したら株価が上昇し始めそのまま保有していたら得られたであろう利益を失うことになるかもしれない、と思ってしまう。この言い分には損失を確定したくないという感情が隠れている。

 

この損失を確定したくないという気持ちと含み損が拡大していく恐怖が混ざり合い、投資家の判断を鈍くさせる。それを避けるため機械的に「損切り」をすべし、というのはとても合理的な考え方だ。

 

だが私は株価が下がったからといって損切りはしない。

株価というのは価格であって、それは多数の価値観の均衡点だ。自分の考える価値とその多数の価値観である株価は一致するときもあればズレている場合もある。株価が下がったとしても自分の考えるその企業の価値が変化していないのならばわざわざ売る必要性はない。

 

もちろん自分の考える価値が間違っていて、大損するという可能性はある。

でも長期的には業績に株価がついてくるものだと思っているので、しっかりした事業をしていて利益を着実に積み上げる企業ならば大損する可能性は低いと考えている。だからかこそ株を買うときはその企業をできるだけ調べ吟味する必要がある。

 

買った後に株価が下がって不安になるのは、その企業をよく調べていないからだ。

 

思い起こせば安倍政権になる前の民主党政権のとき、株式市場は低迷していて長い間含み損のままのときがあった。それでも利益を積み上げ配当を出し続けていた企業の株は手放そうとは思わなかった。

でも稼ぐ力が弱くなった企業の株は手放さなくてはならない。

 

損切りしないほうがいいというわけではない。損切りするかしないかは、投資家自身が決めることだ。

投資をどう考えているか、そこをぶれないようにするのは大事だと思う。

それが投資の成績を左右することになるのだろう。